すぐ体を壊しちゃう人へ 大丈夫だよの言葉
先日、寒気が止まらなくて病院に行きました。
結果、インフルでもなんでもなく、ただのウィルス性のものだったようです。
私は年に2回熱を出します。時期も大体決まっていて、季節の変わり目。
最近風邪を引くと必ず38度台の熱が出るんです。
診察を一通り終えたので、そのことについて気になって先生に質問をしてみたんです。
私「この冬から春にかけて、よく風邪を引くんです。クセみたいになってるんでしょうか?」
カルテを見ながら、先生は「ふむ、確かにちょこちょこ病院に来ているよね」
先生「まあ、あなた頑張りすぎちゃうのかな、若いと余計頑張っちゃうし」
私「まぁ確かに頑張っちゃうほうかも」
先生「頑張らずにね」
先生「年取ったらね、頑張りたくても頑張れなくなっちゃうから、微熱がでたら休んどこってなるから、大丈夫、大丈夫。」
私「ふふふ」
先生「あとね、お母さんになると強いよ、すごい強くなる」
先生「あなたこれからだから、大丈夫だよ」
って励まされました。
いいおじいちゃん先生だったなぁ。
みなさん、体弱くても、大丈夫です。頑張りすぎちゃうだけみたいです。
あと美味しいもの食べていっぱい寝てね。
私も今日はあともう少しだけ読書して、お風呂に入って早めに寝ます。
「ケガ怖い病」を克服したい
ボルダリングをしていると付き物だと思う「怪我」。
めちゃくちゃ怖いです。
今のところ私は30年ほど生きてきて骨折をしたこともないし、靭帯を切ったこともない。
スジがおかしくなったこともなければ、手術をしたこともありません。
救急病棟24時とか、医療ドラマでよく血が出るシーンがあるけれど、正直あれも辛くて。
体の力がすぅっと抜けていくのがわかります。
小さい頃からあまり体を動かすことが得意じゃなかったけれど、
生まれて初めて「スポーツって楽しい!」って思えたのがボルダリングだったから、
それができなくなるのが怖い。痛いの怖い。
そういう気持ちをずっと持ってました。
特に岩場だと怪我のリスクが上がるから、自分の怪我の責任負えない!と思ったのもあります。
初めて外岩に連れて行ってもらったとき、ものすごく指が痛くて心細かったなあ。
周りはバンバン落としていくし、脚は安心して置けないし、腕はすぐパンプするし、
緊張しいだから呼吸は上がるし。今思い出しても辛い!笑
でもこちらのサイトを読んだら、まさに私が案じていることがまるっと書いてあって。
グレードなんて気にする程まだやってないし、「そこ」じゃないよ。実にもったい無い。
俺だから言える。落ち込んでからがこのスポーツ面白いんだってwww
ボルダリンググレードが下がって気付いた事。 - 楽生き.net
そうなんだ、怪我した先がまだあるんだ…!というのが目からうろこ。
確かにグレード気にするほどまだやってない。
楽しいうち・誘われるうちは、怖い怖いと頭ごなしに否定せず、
何度かくらいチャレンジしてみようと思いました。
頭硬いやつになっちゃう。
もちろん怪我は自己責任で。
春の公園とペンギン
春ですね。
春が好きです。
少しそわそわして落ち着かない感じや、出会いと別れに感情が突き動かされるあの感じ。
私は新入社員でもないし、新しい出会いも別段思い浮かばないけれど、
なんだかそわそわ。
暖かくなると、あれしたい、これしたいがたくさんでてきます。
特に桜。
桜って春の本当に限られた時しか見られないから、見ておきたい。
来年も咲くのにね。どうしてだろう。
今年は比較的大きな公園に出向きました。
その公園はちょっと変わってて、公園の一部に動物園があるんです。
ペンギンとか孔雀とか飼っているの。すごいですよね笑
近くの桜の木の花が、ペンギンのプールにぷかぷか漂っていてとても綺麗でした。
加工しすぎて常夏のリゾートプールのように、とっても鮮やかになっているけれど、
これはこれで好きだからいい。
今週のお題「お花見」
楽しさと惰性はお隣さん
昨日気付いたんですが、楽しさと惰性はお隣さんだったんです。
週に2回ボルダリングジムに通っていた私。
そもそもボルダリングって何?という方もいらっしゃると思うので一応説明すると、
こんな感じで、人口の壁(高さ3、4メートルくらい)をカラフルな石(ホールド)を使って
登っていくスポーツのこと。
難易度も級や段などあり、難易度によって、触っていいホールドが決められています。
(イラストだと、青色のホールドだけを掴んで登りましょう、というように)
1つの課題にはスタートとゴールが設定されており、ゴールまで行けたら課題クリア!
というのがざっくりとしたボルダリングのルール。
なんで壁登るの?と聞かれれば、
⒈クリアした時達成感があるから
⒉運動はある程度しておいた方がいいと思うから
⒊常連さん仲間というのがなんとなくできて嬉しいから
が挙げられます。
私はもともと運動は苦手なのですが、これだけは長くゆるく続けています。
最低でも週1を年単位で続けてはいるものの、クライミングが上手な常連さんはいっぱいいて、
どんどん追い越されて行く現状。
心のどこかで「仕方ない」って思っているところもありました。
あの人はクリアしたけれど、私には瞬発力や筋力がないからちょっと無理かなぁとか。
この課題はもう明らかに難しそうだなぁとか。
2回くらいトライして、できなかったらすぐに諦めて、ぐるぐるできない課題を回遊する感じ。
なんとなく仕事も忙しくて、ジムに来る期間空いちゃったんですが、
いつもの常連さんが「久しぶり〜〜〜!元気してた?」って声かけてくれて、
一緒に簡単な課題をトライしてくれたんですね。
久しぶりなのも手伝ってか、課題がクリアできてもできなくてもすごく嬉しいし楽しい。
終始笑顔の2時間でした。
バンバン常連さんは落としていくし、真似しようと思ってもできない動きはあったんですけど、楽しい!!!
仕事が忙しくなる前にジムに来てた頃も楽しんでいたはずだけれど、それでも笑顔が減っていたことに気付きました。
あれ笑ってなかったな…!「あの課題落とすぞールンルン♪‘」ってなってなかった…!
いつの間にか楽しくてやっていたことが、惰性に変わっていたんです。
惰性は楽しさのお隣さんにいたんです。
楽しいって、難しい。
楽しくしようと思って楽しくなるものなのなのかな?
うまくできなくても楽しい日なんてある?
楽しくなくてもトライする?
アドバイスを素直に聞けるかな?
疑問はぷかぷかと浮かんで来そうだけれど、そっとそのぷかぷかは排水口へと流してしまい、
明日からまた楽しもうと思った次第です。
今日楽しかったから。明日もきっと楽しい。
家族と思える人は変わってゆく
彼の家に遊びに行くと必ず「ただいま〜」というのが恒例となっています。
私にとってそこはホームだと思うから。
家族って、今難しいポジションだと思うんです。
正直、フルで働いていると、会社にいる時間の方が長いですよね。
長くいると、それだけ毎日顔を付き合わせるわけで、
話す機会も自動的に多くなります。
また、会社にいると「問題」がでてきて、その「問題」をみんなで解決していこう、
みたいな助け合いになるけれど、家族って「問題」がなくないですか?
いやあるとは思うんですけど、直ちに命に別状はないし、早く解決しなきゃいけないわけでもない。
必要とされないので、コミュニケーションにも消極的になってしまいがち。
いるのにいない、みたいな感覚は、どこか寂しいなあと思う自分がいました。
たまに、心が「家族要素」を欲した時は、友達家族(子供がいて賑やか)の家に遊びに行ったり、
彼のお家に遊びに行ったりして気を紛らわせています。
一人でカフェにいるよりも、家族がいる家にいる方がずっと孤独を感じる、
私みたいな人は少なくはないと思います。
だから、(自分も含めて)大丈夫だよ、なんとななるよ、生きやすく生きていきましょう。
自分が居心地のよさを感じられる場所づくりを。
写真再熱
※これはiPhoneで撮った写真を加工したもの
カメラが、楽しい。
今までカメラのことについて全然触れてませんでしたが、一眼レフを1台所持しています。
一年に数回使うだけでした。
一眼レフちゃん、お留守番させてごめんなさい。
「あ、撮りたい」と思ったときに手元になかったり、
iPhone で綺麗に撮れるじゃん!ってなったり、
めんどくさがりもここまでくると…というレベルです。
結構前に充電したのにまだ電池残ってます。
なぜ写真に再熱したかと言いますと、最近クラブに入りました。
いやだいぶん前に入っていたんですけど、これまた完全に出不精で。
完全に幽霊部員やってました。冬は生きるので精一杯。
幽霊部員が新人顔でクラブに出席すると、それはもう大砲みたいなカメラを持ってる方がわんさかいて。
Lightroom?現像?はてはて?この知識レベルで私はクラブに入ってよかったんだろうか。
入会テストがあったら一発アウトだったんじゃないだろうか。
カメラを持つ手が震えちゃう。(震度4)
そんなこんなでクラブでの撮影会(今回はポートレート)が終わり、なんとか帰宅。
みなさん続々と今日撮った写真を現像し、共有してらっしゃる。(震度5)
私はというと、帰ってきたことに安堵し、自分の撮った写真と対面するのが怖い。
結局現像するために写真と向かいあうまでに1日を要しました。
(自分の撮った写真とついにご対面 震度7)
ああ〜〜〜〜〜〜ピントがボケボケです!!!!!!!!!
ピピって半押しの音を聞いて安心しており、どこにピントが合っているのか見てなかったです、そういえば。
ああ〜〜〜〜〜〜明るすぎます!!!!!!!
みんなポートレートってモードは何で撮るんでしょう?
Mで自分なりに調整して撮ってみたんですがシャッタースピードがまずかったのか、かなりブレてしまいました。
あと被写体が子供の場合、設定調整が全然間に合わないのです。やっぱりオートなのでしょうか?
まぁまぁ。とにかく写真をピックアップしてLightroomで現像してみることに。
iPad で直感的に操作できて、仕組みがいまいちわかっていない私でも触れました。
なにこれ、現像ってすごい、感動。
モニターの画面で絶望してた写真も、整えてあげればまぁまだ見れるように。
今まで撮ったら撮りっぱなしだったので、もったいないことしたなぁと反省です。
今はまだ直感的にですが、イメージをきちんと写真という結果に残せたらいいな、と思います。
そして、アンダー気味で撮ったら現像もうまくいくよ!と言っていただいたんですが、
アンダー気味の意味がよくわからず、現在ググって勉強中。
写真、奥が深い。
※ポートレートのため、写真をアップしておりません。
うまくなるためにも記録として写真をアップしていけたらなと思います。
褒められるのは最高に嬉しいが、承認欲求とはどう区別する?
タイトルの問いに、自分で答えの出せないまま、今日はつらつらと文章を書いてみようと思います。
朝会社のPCを開くと、先輩からメールが返ってきていました。
先週末提出したパワーポイント、よくできてるね・素晴らしい!という内容でした。
問題を見つけてきてデータとって分類わけしてグラフにして考察もつけて、
人の手を借りながらも一通り自分の力でやり遂げることができたので、
完成したときの満足感も大きかったのです。
さらに話の筋も通っていて、はたから見てもわかりやすい!っていう自信もありました。
褒めてくれたその先輩は、あまり人を直接的に褒めたりしない先輩で、
さらにさらにデータ分析のスペシャリストなので、喜びもひとしお。
あとはこれをみんなに発表するんだ、みんなどんな顔をするだろうか、
どんなふうに行動が変わるだろうか、ドキドキしてなりません。
で、書いてて思ったのですが、私別に褒められたい!と思って、
パワーポイント作り始めたたわけじゃないんですよね。
褒められたのは結果として褒められたのであって。
私が欲しかったのは、「問題の解決」だったんだなぁ。
私の発表によって、みんなが問題の解決に向かってくれればそれが一番良い。
承認欲求を満たそうとして頑張っていたわけではなかったんだ。
なんだか、ホッとしています。
私は、小さいころから親に愛されたいと思って生きてきたと思います。
親は親で、親が子供の頃、私の祖父や祖母から愛されたいと思って生きてきたと思います。
(父方も母方も、祖父は亭主関白過ぎていたし、祖母はそれを支え過ぎていた、今思えばとてもよく似た夫婦たちだったな)
その満たされない連鎖を、私の代で断ち切れそうな気がしています。
おそらく私はその愛されたいというぽっかりと空いた穴を彼に埋めてほしいのだ、と気付いたのはつい最近のこと。
もっと褒めてほしい、できるのに時間のかかる私だからすぐに口出しせずに見守ってほしい。
とにかく「可愛い」と少しでも思ったら、口に出して伝えてほしい。
付き合って半年たったときに、私は彼にこのようなお願いをしていました。
子供のときに親にして欲しかったけど、自分で気付けなかったから言えなかったことだなぁって今ならわかります。
特に「可愛い」と伝えてくれるのは、本当に満たされます。
前にハムスターみたいに愛されたい、ハムスターっていてくれるだけで可愛いでしょ?
ハムスターが何かしてくれなくても、可愛くない、なんてならないでしょ?
っていうつぶやきかブログを見た気がしてますが、本当にそれ。
そうやって承認欲求が満たされると、私の小さな自己肯定感がなんとなくふわっとでてきて、
ようやく「楽しいからやりたい」っていう欲がでてくる気がしてます。
本当に自分が楽しいこと、率先してやりたいことに取り組めるような気がしてます。
楽しくてやって、振り返って、楽しくてやって、振り返って。
そうやってちょっとずつちょっとずつ、前進していければいいな。