子どもの頃の「もうやだ知らない」といって投げ出した思い出
子どものころって、自分の思いを言語化するのにとても苦労した気がします。
例えばなんとなく親におでかけするために差し出された服のボタンが気にくわなかったり、
かといって他に手持ちの服で着たい服があるかといえばそうでもなく。
なんとなく解決策のないことにもやもやして、イライラして、気に食わなくて。
でもそれを親に言葉で伝えることはできなくて、「早くしなさい」と叱られる。
そんなとき「もうやだ!知らない」っと言って拗ねてみた思い出が、私にはわんさとあります。
いつも自分の思いを言葉にできなくて、悲しんだり怒ったりもやもやしたりを繰り返して生きてきました。
そして30代手前の現在、彼に対して「もうやだ!知らない」をすることになるとは思ってもみなかったです。
ことの発端は晩御飯。食材を買って、市販のソースで絡めるだけで完成の簡単なご飯のはずでした。
場所は彼のアパートのキッチン。食材は鮭とアスパラガスと乾麺パスタと市販品のソース。
鮭を焼いて、アスパラを切っていっしょに炒めて、茹でたパスタと合流させるだけ。
困ることなんてほぼほぼ見当たらない。
本当に些細なことなんです。キッチンには私が立ったのですが、
たとえば私がフライパンに油を入れすぎたからキッチンペーパーで拭きたいと思った時に、きらしていてなかったり、
お塩を振りたいと思ったら、チャック袋タイプの小さなお塩を渡されて、私が塩を振るためのスプーンがないとおろおろしたり、
(チャック袋から手に出して塩を振ればいいのですが、そんなことすら思考に出てこないくらいおろおろした)
フライパンで炒めている食材とクリームがうまく混ざっていないぞと彼から指摘されたり
(パスタを合流させてからトングであえたらいいだろうと思っていた)。
「実家でご飯作っているでしょう、どうしてできないの?」と言われたときにでてきたのが、
「もうやだ知らない」でした。
私だって全く料理できないわけではないんです。
実家ではあっちいったりこっちにいったりはしますが、要領が悪いなりに晩御飯を作るんです。
たしかに毎日ではありません。週に1回程度です。それも1、2品です。
でもここは私のキッチンじゃないし、必要なものがどこにあるかもいちいち聞かないといけないし、
それがあるかどうかもわからないし、ずっと彼が見ているし、だんだんこれでいいのかと不安になってきます。
私の不安をよそに彼からどんどん口出しが入るし、具の入ったフライパンはぐつぐつしてくるし。
言語化したいけどそんな余裕もなくて私は料理を投げ出しました。
慌てた彼が引き続きパスタをフライパンに放り込んで晩御飯を完成させてくれました。
彼は困った顔をしながら言うのです。
「また怒らせちゃった、でもあなたを見ていると危なっかしくていてもたってもいられなくて」
彼は優しく穏やかな表情で、どうしてそうなったのかを紐解こうとしてきました。
調理場を投げ出されたら怒り返してきてもおかしくないのに、彼の歩み寄るその姿勢にほだされて、
少しずつ私は話始めることができました。
私の思い。普段はできるのに、それができなくて「悔しかった」気持ち。
彼の優しく頷きながら聞いてくれる姿勢と、拙い言葉で話す自分に幼い頃の思い出がフラッシュバック。
そのあとは自分の不甲斐なさから心の中でひとり大反省会をしました、もちろん彼にも謝りました。
子供じゃない年齢なのに心の中は今もまだまだ子供なんだな、と改めて思いました。
悔しいなあ〜…。
彼は私より料理が上手なので、私にも同じレベルを求めているのでしょう。
そして私はこれからも彼のキッチンに立つことになるのでしょう。
う〜〜〜んどうしたものか。
未だに腹をくくって彼のキッチンに立とうという気になれないでいます。